憧れたクルマたち・愛したクルマたち・愛するクルマたち

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2013/09/09

アイスワインと冨士スーパーGT観戦。



オリンピック東京決定と言う不愉快なニュース。
ああ〜なんと言う醜悪、狂っている!
世の中は全てお金次第で動くのだとウンザリしていると、
私の好物アイスワインをお土産に
約束の早朝6時、佐藤サンが現れた。

今日は冨士スピードウエイでスーパーGT観戦。
雨模様だったが、十数年ぶりに聴くレーシングマシンの咆哮が
重く沈んだ心を吹飛ばしてくれた。

楽しみにしていたMサンには初対面のご挨拶が出来た。
観戦案内資料や豪華なパンフレットを頂き、
コントロールセンターの内部を案内して下さった。
彼の愛車白い993ポルシェが深い教養と情操を物語っていた。

Porsche GT3R、Aston Martin V12Vantage、
好きなマシンは、やっぱり凄かった。
始めて見るMercedes-Benz SLS AMG GT3の勇姿は、
1950年代の名車300SL-Rを彷彿とさせた。

IPoneで写した写真ですが・・・

パンフレットの写真より転載






2013/09/03

スーパーGT観戦、最高のパドック・パスと駐車券。
















何年ぶりだろう、精悍なマシンをパドックで観て
迫力あるレースを楽しむのは・・・
日本で一番人気のあるレース、SUPER GT 第6戦。

このブログにコメントを下さるレース界で有名な方が、
私の娘が仕事でレースに関わている事を知って
わざわざご手配して下さったパドック・パスと駐車券。

なんと、全ての場所に出入り出来る最高のゲストパスだ!
駐車券はレース関係者用のBパドックのパス!!
ああ〜日本最高のレースに、ゲストとして観戦できる。
なんとお礼をすれば良いのだろう・・・
その方に初対面のご挨拶出来るのが楽しみだ。

天気予報は雨のち曇りだが、
やはりこのブログで知合った元ヤナセに勤務していた
クルマの趣味が合う若者と早朝から出掛ける。

華やかなパドックに並ぶ獰猛なマシンを眺め、
スタート前の緊迫したコンセントレーションを感じる。
そんな雰囲気だけで私には充分なのだが
どんなドライバーが、どんなマシンが走るのか、
ネットで検索してみたが実に興味深い。

Nissan GT-R Prestige Cup (第4戦決勝 8周)
Porsche Carrera Cup Japan 2013(第9戦決勝 15周)
SUPER GT Round 6(第6戦決勝 66周)
土曜の予選も観たくなった・・・



冨士スピードウエイはバンクがあった頃から知っている。
何度もコースを走った経験もある。
グラチャン時代は(冨士グランチャンピオン・レース)
レーシング・チームの一員としてピットに入り、
Aジムカーナ場上のレストランではよく食事をした。
その後、F-1グランプリ開催のため
新しく立派な国際サーキットに変貌していると聞く。
それらを見るのも楽しみだ。




2013/08/31

モーターレーシングの世界、若い頃が甦る。


















刺激的な動画が満載です。
リンクした文字をクリック、お楽しみ下さい。
インタビューや撮影現場の動画は貴重。
1966年の映画「グランプリ」のジェームス・ガーナー、
ポール・ニューマンのルマンでの勇姿も・・・

やっぱりモーターレーシングは純粋で良いなあ。
お気に入りのサイトの紹介です。



先日、鈴鹿サーキット南ゲートまで娘を送り、
レースを観ずにトンボ帰りしたのですが、
早朝からサーキットに詰めかける愛好者達やクルマに刺激され、
9月8日は冨士スーパーGTを観戦予定。
若い頃を想い出し、こんな動画に痺れています。


GUNNAR RACING(リンク)

Gunner Racing Facebookからシェア。
ポルシェ愛好家、クラシックカーレーシング好きには
刺激的な映像が満載です。



VELOCITY(リンク)

クラシックカーがお好きな方は溜め息が出る動画満載。




2012/02/03

まだ、ジャガーが獰猛だった頃のジャガー

1956 Jaguar D-Type Long Nose XKD605

Weber: 45DCO4 x3ファンネルは長くトルク重視? タイヤは ダンロップCR48(R6)






資本主義そのものの崩壊すら危惧され始めた世の中。
呑気にクルマの話など止めよう思っていたが、
これは人類の文化遺産、芸術品の鑑賞は許されるだろう。
JAG technic により1100万ドルを費やして、
復元されたと言う貴重なワークスカー393RW、
1956年ロングノーズDタイプXKD605の素晴らしい映像。
ぜひ、フルサイズで「走る芸術」を堪能して欲しい。


1956 JAGUAR D-TYPE 'LONG NOSE' XKD605 / 393 RW
1956 REIMS 12-HOUR RACE: 1st
Duncan Hamilton / Ivor Bueb
1957 SEBRING 12-HOUR RACE: 3rd
Mike Hawthorn / Ivor Bueb

この393RW(chassis number: XKD605)は、
1956年、ダンカン・ハミルトンとアイバー・ビューブが
フランスの「ランス12時間耐久レース」で優勝。
1956年、ル・マン24時間では6位入賞。
1957年、マイク・ホーソーンとビューブにより
アメリカの「セブリング12時間レース」3位
と言う輝かしいヒストリーを持つ。


1951/53年とルマン24時間レースを2年連続で優勝した
Cタイプの後継モデルとして1954年に発表されたDタイプは、
ルマン24時間を1955/ 56/ 57年と3年連続で優勝した。

54年から56年の間に世に出たDタイプは僅か87台。
その中の20台がワークスカーワークスであった。
エンジン: DOHC 6気筒, 3781 cc, 275 bhp
最高速度: 175mph (282 km/h)
コクピット部はマグネシウム製のセンターモノコックで、
その前方に伸びたサブフレームにエンジンを搭載する
従来のパイプフレーム構造の常識を覆す画期的な構造を持つ。
ブレーキはギヤボックス駆動ポンプによるサーボアシスト。
マグネシウム製センターディスクホイール。
ドライサンプのDOHC6気筒3442ccエンジンは、
重心を低めるため左に8度傾けて搭載された。
3基のウェバーによるパワーは275HP/6000rpmを発生。
さらに57年のルマンでは3781ccにボアアップされ、
ルーカス機械式燃料噴射で300HPにまで高められた。



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2010/05/15

ネプチューンの三叉の槍







マセラティの三叉の槍マークは
マセラティ三兄弟の結束を象徴し
創業の地ボローニャのシンボル
ネプチューンの噴水に因んでいる
1914年創業のマセラティは
純粋なレーシングカーメーカで
1957年に3500GTを出すまでは
市販車など造らない
正しくサラブレッドであったが
今や新参者フェラーリーの
傘下に甘んじている

写真1: 1950年代初頭の名スポーツカー
マセラティA6GCSのシフトゲート
削り出しで造られ磨かれたシフトノブ
誤作動ロック付きのバックギア
サラブレッド故の入念な造りである

写真2:MonacoGP Historiqueを走る
1954年のマセラティ250F
ファンジオを生涯5度目の
世界チャンピオンに導いたマシン

写真3/4:ボローニャ市街にある
ネプチューンの噴水



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2010/05/11

ミラノの部品屋


昔 ミラノ市街にあった自動車部品屋
東麻布に多かった外車部品屋と同じ風情だ
数万に及ぶ部品品番や年式と仕様は
コンピューターでは無く頭で記憶している

イタリア語しか通じないので
パーツカタログと手振り身振りでの会話
古いアルファロメオのウォーターポンプを
アッセンブリーで購入したかったが
主人は銅製ワッシャの交換だけで良いと言う
小さなカッパーワッシャだけを買ったが
結局自分では分解出来ずに
修理屋に出す羽目になってしまった



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2010/04/27

Kodachrome KR/PKR64



モナコGPのコース上で見掛けた女流報道写真家
多分ファッション誌の取材なのだろう
まだフイルムを使っていた頃の写真である

首に105〜300mm程度のレンズのカメラ2台
チョッキには数十本のKR/PKR64や広角レンズを
更にポケットが一杯付いたTenbaのバッグと
メガフォンの様な1000mレンズを肩に・・・
あの頃のレースカメラマンの一般的姿だった

被写体の距離やフイルムの残り枚数に合わせ
カメラマン達は首に提げた2台のカメラのレンズを
両手をクロスさせて器用に交換したが
それはプロである証明でもあった

そしてデジタルカメラに変わって行った・・・

深みのある独特の色合いと質感描写力で
50年以上にわたって世界中の写真家に愛され
信頼され続けたコダクロームKR/PKR64
印刷物に適したから僕も使っていた

2009年6月22日コダック社は
コダクロームの製造打ち切りを発表した
現在では流通在庫もほぼ払底し
1935年以来の長い歴史を持つ
リバーサルフィルム・コダクロームは
その姿を消した・・・



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2010/04/20

ルマン・ピットの電話


ルマン24時間レースのピットの電話機
もうこんな旧式な電話は無くなっただろうが
1983年にはまだ残されていた

1955年のルマン24時間レース
86名もの死者を出したレース史上最悪惨事の時
この電話は鳴り止まなかったのであろう
クルーの怒鳴り声や観客の悲鳴が聞こえる様だ

震える思いで僕はカメラに収めた

1955年の日本はまだ極貧の時代
ヨーロッバへは船で1ヶ月もかけて渡る時代
自動車レースなど想像を超えた夢の国の話
ニュースにもならなかった・・・



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2010/04/16

1957 Maserati 250 F



グランプリ史上最高のドライバーと称される
アルゼンチンの英雄 ”Juan Manuel Fangio”が
5度目の世界チャンピオンを決めたマセラティ250F
フロントエンジン最後のGPマシンとして記憶される

昔観た映画「グレートドライバー」の中で
ファンジオが語った言葉が印象に残る
「自分たちの時代は「名誉」の為に走ったが
今は「タバコ」の為に走っている・・・」
確かにスポーツは商業至上主義に破壊された


ラグナセカのパドックで写した写真から
この歴史的マシンのコレクターと
押し掛けを手伝うご令嬢
何とも微笑ましい光景である



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2010/04/07

モナコGPで感じること





モナコGPで湾を埋め尽くすヨット群
大型ヘリコプターを搭載する豪華クルーザーが圧巻である

ヨーロッパのレース・シーンで常に感じること
西洋貴族の遊びから発祥したモータースポーツは
全ての面で日本人にはギャップが大き過ぎる
相撲や柔道の精神性が外国人の参入により失われた様に
またフィギュアースケートを4回転などと
中国曲技団の曲芸の様に変えエレガンスを失わせた様に
西洋文化の良さを日本人が破壊している

西洋の騎士道的「ビヘイビア」を持たない日本人は
モータスポーツを単なる車の競争としか理解出来ずに
興行や宣伝の場として利用する事しか考え無い

ソレを強く感じさせるのがモナコGPである
世界の富豪達が美女をエスコートしワインを呑みながら
ヨットのデッキから観戦する優雅な様を見ていると
モータースポーツの何たるかがよく解る

今や漢字の看板前をF1マシンが走る時代だが
日本人は実用的エコカーを世界に普及させるだけで
充分なのでは と僕は思ってしまう


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2010/03/30

"Jacky" Ickx



Great Driver : Jacques Bernard "Jacky" Ickx
もし最も好きなレーシングドライバーは?と聞かれれば
僕は迷わずジャッキー・イクスと答える
何度か話や食事の場に同席する機会に恵まれたが
彼の知的でゼントルな振舞いには魅せられた

亡きヨッヘン・リント後のフェラーリーでの活躍もあったが
ル・マン24時間レースで1969/1975/1976/1977/1981/1982年と
6度もの優勝を果たし「ル・マンの帝王」と呼ばれた
ジャッキー・イクスには興味深く鋭いエピソードが多いが
ル・マン24時間の名物だったル・マン式スタートは危険だと抗議し
そのアピールとして1969年の同レースのスタート時
あえてマシンまでゆっくり歩きシートベルトをきちんと締め
最後尾からゆっくりとスタートした
このレースは激戦の末にイクスのフォードGT40がポルシェ908を
ギリギリで抑えて優勝するという劇的なレースであったが
これが決定的となり、ル・マン式スタートは廃止された

カーレースに対するメディアや世間での勘違い
見世物の様な無用な蛮勇を賛美することを極度に嫌い
TVに「レースに勝つコツは」と質問された時
彼は「出来るだけ"遅い"タイムで1位で完走すること」と
ジョークで答え物議を醸したことがあったが
このコメントに彼のクールな知性が集約されている



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2010/03/29

Derek Reginald Bell MBE


Great Driver : Derek Reginald Bell MBE
ベルは1985/1986年スポーツカー世界選手権タイトルを2度獲得
1986/1987/1989年とデイトナ24時間レースでは3勝
1975/1981/1982/1986/1987年のル・マン24時間レースでは5勝
ポルシェの936/956/962でのジャッキー・イクスとのペアは
モータースポーツ史を飾る名コンビであった
またベルのモータースポーツでの活躍は認められ
1986年に大英帝国勲章MBEを叙勲した



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